街なかかわらばん佐賀

佐賀の街なかで自分らしく暮らす人㉜(嬉野 敏彦さん)

2021年7月13日


嬉野さん

嬉野さん

店内の様子

店内の様子

嬉野さんが関東の宝石店の経験を経て、呉服元町にある家業の宝石店を商圏No.1のお店にしていくまでのストーリーとノウハウをまとめた一冊。キーワードは「オープンマインド式集客術」と「ランチェスター接客術の経営戦略」。

嬉野さんが関東の宝石店の経験を経て、呉服元町にある家業の宝石店を商圏No.1のお店にしていくまでのストーリーとノウハウをまとめた一冊。キーワードは「オープンマインド式集客術」と「ランチェスター接客術の経営戦略」。

嬉野 敏彦さん
有限会社うれしの金賞堂
代表取締役

わざわざでも来ていただけるお店を
目指すことで、地域貢献へ

 
-まず東京でのお仕事のことについて

東京ではジュエリーや時計の販売・接客をメインとして、直営店や百貨店の売場で店舗運営や管理にも携わっていました。在籍中の17年間で得られたものとして大きいのが、接客の場数を踏めたことです。
 
もちろんですが、東京はパイが大きくいろんなお客さんがいらっしゃるので、売るのは簡単そうにみえてなかなか難しいわけです。でもお得意様づくりや時にはクレームの処理など、接客をするにあたってマニュアルはなかったので、お客さまに合わせてどう提案していくかとか、どう引くのか押すのかなど、接客の方法をたくさん身につけることができました。こういうのは教えられてできるものではなく、積極的に接客をして、買っていただいてもいただかなくても次にいかして、その日々の積み重ねで身につけるもの。結果として、社長賞受賞など、最終的には数字だけでなくスタッフ教育含めて、会社に評価していただきました。
 
-佐賀に戻ってこられたきっかけや理由について

元々僕の場合は、家業の宝石店を継ぐつもりで同じ業界に入ったわけではなかったのですが、関東で経験を積んでいくにつれて、やはり父や母、おじいちゃん達がやってきたお店をなくしたくないなあ、自分でやってみたいなあと思うようになりました。
 
ちなみにその頃勤めていた会社では一番大きい売り場も経験できていましたし、やることをやりきった状態にあったんです。もちろん家業を継ぐことが安定しているからとか楽だという気で帰ってきたつもりはさらさらなく、この場所でやっていくのは簡単ではないとわかった上で、今までの経験を自分の人生の中で形にしたいということで、40歳で会社をスパッとやめて帰ってきたんです。
 
― 現店舗ではどういうお店づくりを意識してこられましたか?

このお店で父や母、おじいちゃんの時代に扱われていた商品は、顧客向けの昔ながらの「宝飾品」がほとんどでした。ただ両親たちの時代は高度経済成長の時代、何でも売れる時代だったのでそれがメインで良かったんでしょうけど、僕が帰ってきた2008年当時は言うまでもなく、そういう時代ではなかったわけです。だからどうにかして自分のお客様、若い新しいお客様を作らないといけないなと思い、まずは結婚指輪や婚約指輪といったブライダルリング販売に力を入れることにしました。この市場は景気にあまり左右されるわけではないですし、しかも当時は結婚のスケジュールがある程度先まで決まっていたので、その中で納期等が確定しやすかったんです。
 
また、以前のブライダルリング市場はブランドものやメーカーものなどが主流でしたが、僕が東京にいた頃から「結婚指輪やオリジナルジュエリーをせっかくだからオーダーで作りたい」、「昔買った婚約指輪を娘にあげるために作り替えたい」という声が僕のお客さんでも増えて来ていていたので、対応をしていました。もちろん佐賀に帰ってきた当時も完成品はショッピングセンター等にたくさんありましたが、オーダーの結婚指輪や作り替えに力を入れているお店は、まだ佐賀ではそれほど多くなかったように思います。
 
そこで僕はそういうニーズへの対応を東京で経験していたこともあり、「ブライダルリング」と「ジュエリーの作り替え」、その二つを自分の得意分野としてこのお店で始めることにしました。
 
― 小さなお店が生き残っていくポイントについて

そもそもなぜオーダージュエリーを扱うお店がそれほど普及しないかというと、お客様の希望通りに製作できるかどうかというのは、やはり非常に難しいわけです。金額もおよその目安をその場でお伝え出来ないといけませんし、デザインや価格、納期に対してのニーズを満たすこと、そしてトラブルもないようにしないといけません。高い顧客満足度を出し続けるというのは、まあやはり難しいですよ。手間もかかりますし、だから大手さんは完成品がメインになるわけです。
 
そもそもオーダーのジュエリーや結婚指輪、作り替えの技術というのは、非常に奥が深くて、ジュエリー業界のカテゴリーの中でも一番難しいと言えます。それは今も昔も同じであって、小さなお店はそういった「競争相手が少ない分野」で勝負しないと、わざわざ来てもらえるような付加価値の高いお店にはならないと思います。鍛造製の結婚指輪、ジュエリーの作り替え、トラブルがなく良心的な価格、気持ちよく楽しくジュエリーの相談ができる、この段階まで持っていけている店はかなり少ないのではないでしょうか。
 
―店舗経営とまちづくりの関連性について

僕の店は対面販売が主で、ネット通販やzoomを使っての販売はしていません。この店にわざわざ行きたいと思っていただく、お店に来る過程まで含めて、そういう一日を、体験を楽しんでいただけたらと思います。ご来店された時にお昼を探してらっしゃったら、近所の食事処などを案内することもたまにありますしね。
 
おそらくある地域にわざわざでも行きたいと思える繁盛店・人気店が20軒ほどあれば、そこそこ人は集まると思いますし、力がある店が集まることが、街なかへ人を集客するためには効果的である気がします。僕は僕みたいな力でまちを元気にしようとか大それたことは思ってないのですが、わざわざでも自分の店に来てもらえるようになり、そして自分の店とお客様を元気にしていくことが、最終的には多少なりとも地域への貢献、まちづくりに繋がるのではないかと考えています。
 
一つ一つのお店が自店のサービスを追求しながら、5年10年それで食べ続ける決意がまずは大事じゃないでしょうか。
(聞き手:庄野 雄輔)
 
[INFORMATION]
うれしの金賞堂
☎0952-23-4580
●佐賀市呉服元町9-20
●営業時間/10:00〜19:00
●定休日/木曜
●駐車場/あり
●Web https://www.u-kinshodo.jp/
 
(PROFILE)
佐賀市出身。勧興小、成章中、佐賀西高校を経て、大学進学時に関西へ。卒業後は東京で広告代理店に勤務したあと、宝石店「日新堂」にて17年間勤務。店長として銀座や有楽町などの路面店や百貨店で社内屈指の売上実績を残し、社長賞の受賞やブロックマネージャーなどを歴任。その後家業の宝石店を継ぐために40歳で会社を退職してUターン。独立後は前職で長年培った高い接客スキル、そして独自の「オープンマインド式」集客術などを活かし、広域からでもお客さんを集める繁盛店となって現在に至る。
 

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市民ライタープロフィール

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氏名:庄野 雄輔

街なかの愛の伝道師&街なかかわらばん佐賀の編集長

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