街なかかわらばん佐賀

佐賀出身者からの手紙(北島 志彦さん)

2014年3月30日


北島 志彦さん

6SHiKi/fàbrica. ディレクター
 

ユーモアとセンスに溢れた街、佐賀を知って欲しい。
 

「佐賀へ、手紙を」という原稿依頼を頂いた深夜。
次の日、東京が記録的な大雪をむかえることも知らずに、Macの横に掛けてある年間カレンダーをぼぉーと眺めながら、ふと佐賀のことを想ってみました。澄み切った青空に浮かぶ熱気球、桜舞う多布施川の土手道、河川敷の花火大会、アーケードの銀天夜市と一平のかき氷、近所のお寺の地蔵盆祭り、友人らと泳いだ石井樋、学校の廊下から見えた天山の秋の山影、駅前通りのイルミネーション、北風に凍え歩いたもぐら打ち、タコすべり台があった森林公園、観覧車に初めて乗った神野公園、金立公園の草スキー、ヤブ蚊とウシガエルの声、クリークに落ちた事、狭い家の勉強部屋と父のアトリエの絵の具のにおい、サッカー部の練習と試合と怪我・・・。
 
あの頃は、こんな田舎絶対いつか出てやると思っていたけど、こうやって思い出してみると、佐賀市内というチャリンコで回れる狭い範囲の中で、実は少年時代を満喫していたのかもしれません。
 
4年程前から、仕事柄月の半分程を東京で、あとの半分を日本のどこかで送っているという生活をしているのですが、その土地、その土地で温かくして頂き、その土地の良いとこや、美味しいものを頂く度に、お酒の回った僕はいつの間にか佐賀の話をしています。佐賀のステキなトコやステキな人達のことを必死に語る自分に気づきます。佐賀の事を何も知らない人達に、佐賀が今イチどこにあるかも分からない人達に「佐賀に遊びに来て下さい!絶対楽しいですから!」って酔いながら言っているらしいです(笑)。ある方にいつか言われたことがあります、「佐賀は僻地ですね!交通費もかかりますし!一生行くことはないですね!」って。その時悔しくて泣いたことを覚えています。
 
たしかに今の佐賀市は僕の子供の時より寂れてしまいました。1番の遊び場だったアーケードも無くなってしまいました。でもそんな中、必死に佐賀を盛り上げようと頑張っている若手ギャラリーがあります、カメラマンがいます、イラストレーターや、デザイナー、家具職人、ステキなカフェもあります。逆に新しいモノだけを取り上げるのではなく、佐賀の伝統文化を新しいカタチで復興させようとしている動きや昔からの佐賀の姿を紹介するサイトもあります。いつも鞄片手に日本じゅうをウロウロしている僕の役目は、訪れた土地の人達に佐賀のことを少しでも知って頂き、遊びにきてもらうことかなと考えています(笑)。
 
最近佐賀を取材された方が、「佐賀には夢がある」とおっしゃっていました。佐賀には夢も希望も可能性も愛もありますよ(笑)。
 
家庭環境もありますが、佐賀での子供時代に創られた感受性のおかげで僕は今の仕事をやれているような気がしています。その恩返しとして、いつか佐賀でモノと食と音楽のクラフトフェアなどができるといいなと思っています。
 
最後にこれから佐賀を出て、都会や海外に挑もうとしている次世代へ。
 
どんなに今の生活が面白くなくても、どんなに田舎が嫌でも、故郷はいつも温かくむかえてくれます。だからどこにいても頭の片隅に佐賀のことを大事に仕舞っておいて欲しいなと思います。そして酔って故郷自慢になった時には、1つでもいいので、あなたが誇って話せる佐賀の何かをみんなに話してあげて下さい。
 

(Profile)
1977年佐賀県佐賀市生まれ。市内の高校を卒業後、大阪の大学へ進学。その後、専門学校でグラフィックデザインを学び、大阪のグラフィックデザイン事務所へ入社。2007年に上京、大手バッグメーカーに転職。ミュージシャンやアパレルブランドとのコラボ企画を積極的に仕掛ける。2010年より「6SHiKi」を立ち上げる。また2013年より「fàbrica.」も展開。現在は東京と倉敷と日本全国を頻繁に行き来している。

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